17世紀中葉に市民革命を体験し
議会を通じて重商主義政策を推進する時代に入っていたイギリスと、それに対抗して自国の商工業の保護・振興を図るフランスは、ともに、藍(あい)、サトウキビ、タバコ、綿花などの商品作物の生産地として、また自国製品の輸出先として、植民地を必要としていた。
この植民地をめぐる攻防が、両国の外交・戦争政策の動向を大きく規定することになった。
まず、ヨーロッパにおけるファルツ継承戦争(プファルツ戦争、1689~97)が北アメリカでウィリアム王戦争(1689~97)としてイギリス・フランス間で戦われたのを皮切りに、両国は、ヨーロッパで大戦争が起こるたびにつねに敵味方に分かれて戦い、また植民地でも争った。
スペイン継承戦争(1701~14)のときにアン女王戦争(1702~13)、オーストリア継承戦争(1740~48)のときにジョージ王戦争(1744~48)、そして七年戦争(1756~63)のときにフレンチ・アンド・インディアン戦争(1754~63)が戦われた。
Posted: 1月 18th, 2010 under 歴史・アフリカ・アジア - No Comments.
植民地はアジア、アフリカ、ラテンアメリカの
大部分の地域、すなわち今日第三世界とよばれている地域は、その多くが植民地であった土地である。
植民地化された時期や植民地状態から離脱した時期にはそれぞれの地域によってかなりの相違はあるが、ヨーロッパ近代国家の発展がこれらの地域を犠牲として遂げられてきたことにおいて共通するものがある。
英語のコロニーcolony、ドイツ語のコロニーKolonieなどのことばは、ラテン語のコロニアcoloniaに由来する。
これは、ローマ人が征服地に移住してつくった町であり、移住植民地の原型をなすものである。
古代ギリシアでも人口が増加すると、海外に移住して娘都市を建設し、それらをラテン語のcoloniaという語でよぶようになった。
このコロニアとは、本国からの人口の移住と移住民による開拓とをあわせて意味している。英語のプランテーションplantation、セツルメントsettlementなども同様である。
日本語の「植民地」ということばはコロニアに由来するヨーロッパ語からの翻訳である。以前は「殖民地」とも書いたが、最近は「植民地」の語が一般に用いられている。
植民地ということばを集団的な移住地および開拓地という意味に用いることは、たとえばアメリカ合衆国を独立以後もヨーロッパのコロニーとか、アルゼンチンにおけるドイツ人居住地をコロニーとよぶことにも現れている。
鏡 会計事務所 インテリア ミラー
Posted: 12月 29th, 2009 under 歴史・アフリカ・アジア - No Comments.